“ ぶらり自然観察人 ”   [ 順大裸まつり ] の日

毎年6月の第一日曜日に酒々井町で開かれる [ 順大裸まつり ] 、今年は3日に開催されました。順天堂大学は隣接の佐倉市と縁の深い大学ですが、酒々井町の近くに、スポーツ健康科学部の佐倉キャンパスがあります。 “ 裸まつり ” は学生寮の行事で、当初から酒々井町が受け入れたようです。“ 樽神輿 ” の樽は、地元の酒蔵から提供されているそうで、今では町を挙げての楽しみの一つになっています。
“ 裸まつり ” と云われていますが、実際に見てみると “ 水掛まつり ” 、と、称してもよさそうです。町の子ども達と、お兄さん、お姉さんの “ 水掛ごっこ ” 、水をかけられるのは学生さんの方ですがね。
それにしても、この町は子どもの多いこと、立派?な水鉄砲を持っていて、真剣になってお兄さん、お姉さんに水を掛け、親は水の入ったバケツを持ち歩き、その光景は微笑ましくて、私のような高齢者でも将来の希望が湧いてきます。


千葉県指定史跡 旧佐倉順天堂(昭和50年3月28日指定)
順天堂は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾を開いていた蘭医佐藤泰然(さとうたいぜん)が佐倉に移り住み、天保14年(1843)に開いたオランダ医学の塾です。ここではオランダ医学書を基礎としながら、当時としては最高水準の外科手術を中心とした実践的な医学教育と治療が行われ、その名声により幕末から明治にかけて全国各地から多くの塾生が参集しました。泰然の養子佐藤尚中(さとうたかなか)は、長崎でオランダ軍医ポンペに学んだ後、系統的な医学教育をとり入れ、ここで学んだ塾生の多くが明治医学会において活躍しました。明治時代になると佐藤尚中は新政府から大学東校(現東京大学医学部)の最高責任者として招かれた後、御茶ノ水に順天堂医院を開業しました。一方、佐倉の順天堂は養子佐藤舜海(さとうしゅんかい)が受け継ぎ、佐倉順天堂として医療活動を続けました。現在残っている建物は、安政5年(1858)に建てられたものと、その後拡充された施設の一部です。(同校ホームページより抜粋)

順天堂大学は近代医学の草分けです。私も数年前に “ 旧佐倉順天堂 ” の見学に行って来ましたが、その時の写真を探しても見付かりませんでした。



[ 順大裸まつり ] の光景
人間も動物、自然界の一員です。 “ 自然観察人 ” としては人の営みにも関心がありますが、一番面白い行動をする生物だと思いますね。私はと云えば?、やはり、色々とやってきましたし、今もそうでしょう?、分かっているようで、一番分かっていないのは、自分の事かもしれませんね。