“ ぶらり自然観察人 ”  上総十二社祭り 〓 上総裸まつり! ( パート1 )

9月13日、3年ぶりに一宮町の “ 上総十二社祭り(通称 上総裸まつり) ” に行って来ました。古い伝統のある祭りは、見ているだけで、奥が深く、物語性に富んでいることが感じられます。
3年前、度肝を抜かれた事は、玉前神社(たまさきじんじゃ)を出発した行列が、九十九里浜の釣ヶ崎海岸へ向かって走り出し、神馬に跨った神官・武士装束の男性・幼児3人、そして2基の神輿綱を引く、白装束姿の若い女の子(中には赤ちゃんを抱いた女性も)と男の子(中には髭を生やした男性も)が多数、アレヨアレヨ!、と、見ているうちに、目の前を通過して行ってしまいました。

釣ヶ崎海岸祭典場まで8kmを2時間半、往復16kmを5時間、祭典場での揉み合い、600kgもある重い神輿を担いでのエネルギーは脅威的です。神輿の世話をしていた、ベテランの男性と一問一答、 「 神輿を担げるのは何歳まで? 」 、 「 体がついていけないと察する時がくる、その時が引退の時期‥‥」 だとのこと、質問は愚問でした。

昼食は参道の露天で買った “ もんじゃ焼き ” 、値が高いうえに酷い味。また来るかもしれないが、二度と買わないぞぉ!。



一宮町観光案内のホームページより
房総最古の浜降り神事といわれ、建国以来の歴史と伝統を誇る。毎年9月10日には、鵜草葺不合尊が鵜羽神社より神輿に乗って、玉前神社玉依姫命を訪ね、一年に一度の逢瀬の契りを結ぶという神事。


日本神話の解説資料より
「タマヨリ」という神名は “ 神霊の依り代 ” という意味で、タマヨリビメ玉依姫)は神霊の依り代となる女、すなわち巫女のこととなる。


タマヨリビメ玉依姫)は、日本神話の、海の神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト(神日本磐余彦尊))。


古事記での記述
天津日高日子波限建鵜草葺不合命は、母の妹(つまり叔母)であり、育ての親でもある玉依姫と結婚し、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)の四子をもうけた。御毛沼命常世へ渡り、稲飯命は母のいる海原へ行った。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(かむやまといはれびこ、後の神武天皇)となる。


日本書紀での記述
彦波瀲武盧茲草葺不合尊は、その姨(おば)の玉依姫を妃として、以下の4柱の御子を産む。先ず彦五瀬命(ひこいつせ)、次に稻飯命(いないい)、次に三毛入野命(みけいりの)、次に神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ)。



一宮町のホームページより
千葉県指定無形民俗文化財 上総十二社祭り(かずさじゅうにしゃまつり)
平成15年3月28日指定 一宮町一宮 玉前神社ほか

十二社祭りは、玉前神社の祭神である玉依姫が上陸した、と伝えられる太東崎に、その一族である神々が年に1度集まることに由来する、といわれています。大同2年(807)頃から始まったといわれ、神輿を担ぐ人々が裸に近い姿で波打ち際を走ることから 「 裸祭り 」 の名前で親しまれています。
この祭は毎年9月8日〜14日にかけて行われ、13日が例大祭となっています。例大祭当日は、一宮町宮原の南宮神社(氏子は一宮町東浪見長生村金田を含む)、岬町中原の玉崎神社、同町椎木の玉前神社からそれぞれ大宮、若宮2基ずつの神輿、岬町谷上の谷上神社から1基の神輿、合わせて5社9基の神輿が一宮町東浪見の釣ヶ崎の祭典場へ渡御(とぎょ・ 「 おでましになる 」 という意味)します。
これに先立って10日には睦沢町岩井の鵜羽神社、13日には同町北山田の三之宮神社から大宮、若宮2基の神輿が一宮の玉前神社まで来ることになっています。近年では、長い間来ていなかった睦沢町下之郷玉垣神社、茂原市山崎の二宮神社から大宮、若宮2基の神輿が玉前神社へ渡御しています。
一宮町内では、8日の幟立てに始まり、9日からは玉前神社神職の潔斎(様々な方法で清めること)、10日の稚児行列、11日の 「 火改め 」 などの行事が行われ、12日は御漱祭(おみすりさい)と称して神輿を清めて飾り、夜には神社の境内で宵祭が行われます。
13日は昼過ぎに各神社を出発した神輿が釣ヶ崎海岸の祭典場へ集まり、所定の位置で御霊合わせの儀式を行った後、順番に各神社へ戻っていきます。14日に幟を下ろし、全ての祭礼が終了します。



玉前神社参道、1番目の鳥居付近。



斉行前の参道、3番目の鳥居付近、階段の上に玉前神社拝殿(修復工事中)が見えます。



玉前神社本殿の後ろ側、総漆塗りの立派な社です。



境内で 「 マキエハギ(蒔絵荻)? 」 の花が咲き始めていました。



楽殿前で斉行を待つ玉前神社大宮(右)・若宮(左)の神輿2基、重量はそれぞれが600kgあるそうです。
 



神輿の下の日陰で遊ぶ子供達。



参道を闊歩する “ 玉依姫候補? ” の娘達(中学生らしい)。



出番前に一服する “ 玉依姫候補? ” の娘達。



野点でお茶のサービスする娘達(高校茶道部だとのこと、玉依姫になりたかった?)、私も一杯頂戴しました。



楽殿の “ 蛭子の舞い ” 。





猿田彦尊。3年前は神楽殿で “ 猿田彦の舞い ” を披露してくれましたが、今年はどうなったのでしょうか?。



“ 三猿役? ” の幼女2人(猿は古い時代から “ 神使い ” と云われてきました。有名なところでは、日光東照宮の欄間彫刻があります。多分、その役の子供達だろうと、推測しているのですが?)。



神官のお祓いを受け、釣ヶ崎海岸祭典場に向かう “ 神馬 ” と若者たち(牧場で馬の世話をしているそうです)。



釣ヶ崎海岸祭典場に向かう “ 神馬 ” に跨る、 “ 三猿役? ” の子供たち。男の子1人、女の子2人、まだ小学校に入る前の幼児のようです。炎天下を8kmは厳しい、一番小さい女の子、馬に乗る前はベソをかいていたが‥‥、良い思い出になることでしょう。





釣ヶ崎海岸祭典場に向かって参道を駆け抜ける “ 神馬 ” 。3年前は神官が乗馬していたが‥‥?。



“ 神馬 ” に跨り、釣ヶ崎海岸の祭典場に向かって参道を駆け抜ける、 “ 三猿役? ” の子供達。




釣ヶ崎海岸祭典場に向かって参道を駆け抜ける、 “ 玉依姫候補? ” ・ “ 鵜草葺不合尊候補? ” の子供たちと “ 神輿 ” 。3年前は、ちょうど日曜日と重なったので、若者達もたくさん集まったが‥‥。





この町には立派な “ 子供神輿 ” も数基あり、神官のお祓いを受けて町の巡幸に出発、釣ヶ崎海岸祭典場へは行きません、子供には遠過ぎますね。3年前は知らなかったので、ついていって分かったのです。




この後、私たち見物人も釣ヶ崎海岸祭典場へ向かいました。ありがたいことに、主催者側でシャトルバスを用意してくれましたので、大助かりでした。
情報量が多いので、記事は2回に分けることにしました。釣ヶ崎海岸祭典場でのクライマックスは、9基の神輿が砂浜を疾走する様は圧巻です。引き続き入力する予定です。