“ ぶらり自然観察人 ”  北総の里山  《 心の歴史を語る石仏 》

《 東光寺の石仏 》

〈 東光寺の歴史 〉
酒々井町発行(昭和54年10月15日)の “ 酒々井町の歴史 ” によれば、「東光寺は酒々井字横町にあり、真言宗豊山派に属し、佐倉五ヶ寺の一つである。本尊は大日如来で、康元2年(1257)知恩院の俊誉上人の開基とされている。(以下省略)」、と、記されています。
若い頃に学んだ “ 仏の世界 ” の復習になりますが‥‥、
大日如来(だいにちにょらい)は、仏の世界では頂点、または、中心に位置し、宇宙万物を導き司る如来です。そして、面白い(?)ことに、仏の世界は “ 金剛界(こんごうかい) ” と “ 胎蔵界(たいぞうかい) ” の二界があり、 “ 金剛界大日如来 ” の手は “ 智 ” を表わす “ 智拳印(ちけんいん) ” を、 “ 胎蔵界大日如来 ” の手は “ 理 ” を表わす “ 法界定印(ほうかいじょういん) ” と云う印相を結びます。
俗な言い方をすれば、それぞれが、父親と母親のような役目を分担されていると云う事でしょうか?。私は、この事を知った時から、仏像に人間的な親しみを感じたものです。


酒々井町指定[有形文化財]  胎蔵界の〈 大日如来  像高1.3m
酒々井町教育委員会の説明板には、「この供養塔は、舟形光背(ふながたこうはい)に胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来像が彫像されており、寛文13年(1673)の造立である。酒々井町の石仏しとては古い部に属しており、像容が優れ、保存状態もよい。光背部には付近十七か村の名と人数が記されていて、中台村(下台)、小神村(尾上)など旧村名が用いられている。この事によっても歴史資料として重要である。」、と、記されています。
この像は、江戸時代初期の仏像としては、優れた技巧の美しい尊像で、 “ 光背 ” 上部の梵字 “ アーンク ” も、まだ力強さが残っていると思いますね。


梵字の拡大写真



金剛界の〈 大日如来
“ 智拳印 ” を結ばれた“金剛界大日如来”です。舟形光背の銘文には “ 享保二酉年 ” と標されているので、江戸時代中期初頭の享保2年(1717) ” に建立されたのでしょう。上の “ 胎蔵界大日如来 ” より、だいぶん時代が下りますが、尊像の造形はしっかりしています。光背上部の梵字 “ バン ” も、この時代としては、良く出来ていると思いますね。


梵字の拡大写真



地蔵菩薩
この尊像に魅力を感じ、銘文を調べてみたのですが、見付かりませんでした。私の独断的?な見方で推定すると、江戸時代中期頃の造立と考えてもよさそうです。



酒々井町指定[有形文化財]  庚申塔(庚申塚) 〉  像高68cm
酒々井町教育委員会の説明板には、「この庚申塔は、元は酒々井下り松の新堀入り口三叉路付近に在ったが、旧51号線の拡張工事に際し、東光寺境内に移されたものである。角形で、元は笠付きのものであったが、笠石は紛失して今はない。比較的に小型であるが、造像がよいこと、造立年代が古いこと(銘文参照)、造立者の姓名が多く刻まれていることなどから歴史的価値のあるものである。銘文/正徳元年幸卯十月十五日(以下省略)」、と、記されています。
補足記事: 庚申塔(こうしんとう)は庚申塚とも称しています。建立年の正徳元年は江戸時代中期初頭、西暦1711年に当たります。私のブログでは、昨年の12月25日付け記事、 “ 船橋北部の [ 庚申塚 ( こうしんづか ) ]小考 ” に於いて、取り上げました。発祥地は定かではありませんが、下総一帯は庚申塔の多い所です。古い時代のものは “ 青面金剛 ” 像などが、しっかりと彫られており、美術的に優れていると思います。この像も、創生期頃のもので、かなり風化が進んでいますが、力強さを感じることができます。


※邪鬼の部分拡大写真



※三猿の部分拡大写真



如意輪観音
衆生を苦しみから救い、願いをかなえてくれる観音菩薩です。右手を頬に当てて思惟のポーズをとり、いつも救済方法を考えてくださる姿は、民衆の心を引き付けたのでしょう。ひな壇の上下に2体の尊像が安置されていました。いずれも、江戸時代中期初頭の優れた尊像だと思います。
※正徳元年(1711)の銘文あり



享保12年(1728)の銘文あり



※関連参考写真 : 住吉神社の 〈 子安観音 〉
先日、私のブログに取り上げた写真で、東光寺の仏像ではありません。私は上記の “ 如意輪観音 ” を元に、子授け・安産・子どもの健やかな育成を願う女性達が創生した、観音菩薩ではないか?、と、考えています。したがって、庚申塔の “ 青面金剛 ” 像と同じように、正規の仏像ではありませんが、庶民の切実な願いをかなえる仏像なのです。
この像を調べていて、房総石造文化財研究会  蕨 由美 氏 “ 北総の子安像塔とその系譜 ” と云う論文を拝見しました。それによると、 “ 子安観音 ” の発祥地は酒々井町らしいのです。この写真の像も古く、町の資料によると右側の像が享保18年(1733)、左側が宝暦元年(1751)の銘があるとのこと、同氏の論文にも関連がありそうです。



※参考写真: 如意輪観音(神咒寺) 昭和12年6月 飛鳥園 発行 日本美術資料より