県立 [ 房総風土記の丘 ] の史跡と文化財  「 古墳群 」 & 「 古建築物 」

私の個人的な見解ですが、千葉県は史跡や文化財が多くありません。特に史跡名勝や国宝・重要文化財に指定されているものとなると、指折りで数えられるほどしかないようです。地理的に歴史の表舞台にならなかった事が原因かもしれません。
しかし、[房総風土記の丘]の傍には、この辺りの地名にもなっている、白鳳時代(700年頃)の“薬師如来の仏頭”を保有する[龍角寺]と称する寺院があります(今は小さな建物のみ)。この周りには大・中・小の古墳が100基以上も現存していますが、古墳群として国の史跡に指定されています。その中でも岩屋古墳(105号古墳)は巨大な方墳で、前方後円墳よりも時代が下ると云われていますが、この頃には、この辺り一帯の文化の中心地で、大いに栄えていたと考えられています。
また、[房総風土記の丘]には、時代はずっと下りますが、他から移築された江戸時代以降の建築物で、国指定の重要文化財2棟と県指定の文化財1棟があり、3棟を同時に、そして、自由に観賞できるのです。


国指定史跡 < 古 墳 群 >
「 岩屋古墳 (105号古墳) 」
古墳群の中では最大で、一辺の長さが約80m、高さ約13mもある2段式の大方墳で、絶大な権力者の墓だと考えられています。日本では2番目に大きい方墳です。墳頂にサクラが数本自生しているので、絵になりますねぇ。

※東面


※南面(下部に石室の入り口がありますが、現在はビニールシートで覆われています)


※西面


※北面


後日追加参考記事:11月1日付け、産経新聞千葉版に掲載


「 復元古墳 (101号古墳) 」の埴輪
古墳の一つを復元したものです。周りに埴輪を環状に配してあります。




「 古墳 (中規模の円墳) 」


今年の秋、この古墳の周りに「ワレモコウ」が自生していました。


「 古墳 (中・小規模の前方後円墳) 」


古墳の上に「ヤマユリ」などの山野草が自生していました。



< 古 建 築 物 >
国指定重要文化財 「 旧学習院初等科正堂 」
明治32(1899)年に建てられ、この地に移築された学校講堂建築物の代表的な遺構です。明治時代は欧米の文明を取り入れることに性急で、初期の頃の建築物は、見かけは洋風ですが工法は和風、中には奇妙なデザインの建物も現存しています。
この建物が建てられた頃には西洋建築様式は消化が進み、この建物も過剰な装飾にならないよう配慮され、すっきりした上品なデザインになっています。外壁は下見板張りに白ペンキ塗り、ボーチ周りは控えめな彫刻で飾られています。屋根はコロニアル葺き、ポーチ部分は寺院建築の裳階(もこし)のように、一段下げて造られています。棟の金属飾りは避雷針だと思いますが、さすがに手抜きの無い美しい唐草模様の工芸品になっており、建物全体の風格を助長しています。
現在は“音楽コンサート・落語会・講演会”などにも使用されています。
※前年の秋に“室内楽コンサート”が催されました。開演前に撮影しましたが、向って右側の隅に催し物の看板(白色)が、左側の奥に自家発電機(赤色)がみえます。銀杏の葉が色づいていますが、まだ建物の一部を隠しています。


※今年の冬に撮影しました。銀杏の葉が落ちて建物全体が現れました。



国指定重要文化財 「 旧御子神家住宅 」
安永9(1780)年に南房総市(旧丸山町)に建てられ、この地に移築された中規模農家の住宅です。



県指定文化財 「 旧平野家住宅 」
寛延4(1751)年に富津市に建てられ、この地に移築された名主の住宅です。役目がら役人や来客が座敷に直接上がれるよう配慮してあります。