信濃路の国宝「大法寺三重塔」と国蝶「オオムラサキ」など

7月上旬、所用のため故郷(富山県)に行ってきましたが、片道550kmの連続運転は若い頃のようなわけにはいかず、帰りは長野県の上田市内で一泊しました。近くの山間には名湯で知られる別所温泉があり、その辺りは古代から信濃文化が栄た地で、今も文化財の宝庫なのです。私にとっては若いころ勉強と休養のために数度訪れ、後年になって上田市内でビジネスホテルなどの設計も手がけ、まことに感慨深い地でもあるのです。少々時間の余裕があったので、若かりし頃の思い出の地を辿ることにしました。



国宝「大法寺三重塔」と国蝶「オオムラサキ」・「ジャノメチョウ」
国宝「大法寺三重塔」。この三重塔は鎌倉時代の建立ですが、平安時代の優美な和様建築様式を留めており、美しい「オオムラサキ」との組み合わせは、何んとも云えない安らぎと幸せな雰囲気を漂わせていました。


二層目の高欄(手すり)に「オオムラサキ」が止まって休んでいました。


オオムラサキ
大法寺の境内は自然林に囲まれ、「オオムラサキ」の生息に適した環境のようです。もう一匹が三重塔の周りの草叢で日向ぼっこをしていました。この蝶が足元近くで悠々と動き回っているのを見ているうち、希少種に指定されていることも忘れて、見惚れてしまいました。
この蝶は国の準絶滅危惧種、福岡県の絶滅危惧種に指定されています。


追記:オオムラサキ」は「タテハチョウ」の仲間では最大級です。成虫の開帳幅(翅を開いた寸法)は、雄は8cm前後、雌は一回り大きく10cm前後もあります。何故か昆虫は大体が雌のほうが大きく、数は少ないようです。今回出会った個体は全て雄でしたが、雌の翅は黒に近い濃い茶色地に、雄と同じような斑点があるので見分けがつきます。成虫は「クヌギ」などの樹液を好み、「オオスズメバチ」や「カブトムシ」などと食事場を奪い合うほどの強者です。活動時期は夏季の2ヶ月間、幼虫の食草は「エノキ」など。


「ジャノメチョウ」
大法寺境内の裏山斜面に梅林があり、熟れた梅の実が芳香を放っていました。その中を数種の蝶が飛び交っていて、その中に黒っぽい翅をした「ヒカゲチョウ」の仲間らしき蝶が数匹、跳ねるように飛んでいました。「クロヒカゲ」だと嬉しいなぁ、と期待して追いかけましたが、写真を撮り始めて少々ガッカリ‥、「ジャノメチョウ」でした。と、云うのは、「クロヒカゲ」は船橋北部周辺で2年余りの間に捜し求めて見つからなかった蝶だったのです。でもまぁ、ガッカリしなくてもよいのです、「ジャノメチョウ」も数が少なくて、なかなか写真を撮れないのですからねぇ。それも、雄・雌ともに同時に撮影できるチャンスなんて、なかなか無いのですから。大きさと美しさでは「オオムラサキ」に太刀打ちできないかも知れませんが、これも好みでしょうね。大きな青白い蛇の目を6個もつけて、外的から身を守っています。

この蝶は福岡県の絶滅危惧種に指定されています。
 [オス]


 [メス]


追記:成虫の開帳幅は6cm前後、活動時期は7〜9月、「クヌギ」などの樹液を好む。幼虫の食草は「ススキ」など。




重文「前山寺三重塔」と国蝶「オオムラサキ
重要文化財「前山寺三重塔」は室町時代の建築物です。「大法寺三重塔」より建立時期が下り、和様・禅宗様折衷の建築様式が見られます。ここでも「オオムラサキ」が古建築と見事に調和して、700年間の歴史を思い浮かべ、何故か懐かしい気持ちにさせられました。


参道脇に「ケヤキ」の大木があり、「樹齢約700年」と書かれた立て札がありました。この木も室町時代から生き続けてきたのでしょう。隣に立つ人(妻です)と比べると、その大きさが分かります。


※「オオムラサキ」は古建築が好きらしく?、この「三重塔」でも一層目軒裏組物と軒先に止まって休んでいました。


「三重塔」の屋根に止まっていた一匹が地面に舞い降りたのを、興奮と感動混じりの思いでカメラのシャッターを切り続けました。観賞に来ていた男性から「殺気だっていたよっ!」と云われて、他の観光客とともに大笑い‥‥、でした。まだまだ修行が足りないのです。




国宝「安楽寺八角三重塔」
本当のところ、今回、別所温泉に立ち寄った一番の目的は、この古建築物を訪れるためでした。しかし、修理中で建物の傍までは入れないとのこと、残念ながら諦めざるを得ませんでした。ひょっとしたら、ここでも「オオムラサキ」に出会えるかも‥、と期待していたのですがね。
この塔は鎌倉時代の建立で、わが国唯一の八角形の三重塔なのです。同時代に中国から禅宗とともに入ってきた禅宗様の見本のような建物です。全体・細部を問わず力強く、バランスの良い名建築で、塔の内部には同時代の大日如来が安置されています。今回は写真が撮れなかったので、私の若かりし頃のものを探し出して掲載しました。屋根が4重に見えますが、一番下は裳階(もこし)と称し、下屋のようなもので屋根の数には入れません。40年前の白黒写真もまた味わい深いとおもいますが‥。